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彼は海の子

地元は関東の海なし県で、高原リゾートが売りだった。
5月の連休でも少し肌寒く、山からの風は夏も涼しく、冬はとても乾燥している。
そのまちから大学にも通った。

生まれて初めて飛行機に乗ったのは、面接で長崎に向かった時だ。

海の中に浮かぶ空港には、NAGASAKIの文字が植栽で描かれていて、上空から見えた。
気持ちが高鳴った。

長崎に来て最初に思ったのは「これが南国か」というということだった。
湿気が首のあたりにまとわりつき、長いヴェールのようについてくる。
そして、どこにいても海の気配がした。
夜になると、潮とも土ともつかない匂いのぬるい風が吹いている。
地元では感じたことのない空気だった。

太陽も、長崎の人も明るかった。
長崎市はウェルカムなまちなのだと長崎生まれの先輩が教えてくれた。
鎖国時代でも唯一世界に開かれた場所。
人も文化も、おおらかに受け入れてきたその気質は今も受け継がれているものなのだと誇らしげに説明された。

日課のランニングでは、週に2回はクルーズ船に出会った。
それは一見すると、巨大なホテルのようで、船だと気づけない。1度に4千人を運ぶ船もあると聞いた。僕が生まれ育ったまちの人口の、3分の1だ。そんな話を聞くと、つい、学校の友達や近所の人たちがわんさかとその船に乗っているのをイメージしてしまうのだった。

長崎で迎える3度目の夏が終わるころ、ボーナスで椅子を買った。
ドライブの途中、なんとなく立ち寄った家具のショールームだった。
家具を買う予定もなかったのに、一時間後にはカードにサインをしていた。
無目的に入ったわりに、ずいぶん値の張る買い物だったと思う。
でも、入り口にあった「海で生まれた家具」という言葉が、いかにも長崎らしく感じたのも後押しした。

今の会社にいつまでいるのか、この街にいつまで暮らすのかもわからなかったけれど、
海辺の街にいるうちに、海で生まれた家具を買うのも悪くない。

選んだのは、rudder chair。
「ラダー」は船の舵のことらしい。
横から見ると、脚へと伸びる木部に独特のカッティングが入っている。波をかき分け、進む方向を定める舵のかたちをイメージしているらしい。
椅子には見ない、不思議な佇まいをしている。

椅子は、張地を選ぶことができた。
海が似合う、厚くてざらっとした手触りの生地にした。

ギャラリーは海辺にあり、海側はほとんど窓だった。
クルーズ船が長崎港から旅立っていくのが見えた。椅子に深く座り、ゆっくりと進む船を眺めた。

「イタリアから来ている船だそうですよ」

お店の人がコーヒーを持ってきてくれた。
じっと船を眺めていると、まるでこちらのほうがゆっくりと沖に向かって動いているような感覚になった。大きな窓のあるクルーズ船に乗っているようだった。

その椅子は、毎年10月に開催される諏訪神社の秋の大祭、長崎くんちの数日前に届いた。
フレームは、少しだけ赤みのあるセンダン。長崎生まれの木だ。座面には、海が似合う生地が張られていた。

10月7日の朝。諏訪神社の奉納の生中継をその椅子に座って観た。普通なら朝のニュースが流れている時間に、華やかな衣装を身につけた市民が誇らしく少し緊張した面持ちで奉納している。
初めて見た時はニュースを中断してまで生放送で伝えられることに驚いた。

毎日、その椅子で30分ほど読書をした。椅子を灯の下に移動させる。
厚い座面は安定感がある。自然と、視線が本に落ちる。
音楽は聴かない。ただページをめくる音と、時々出る咳が響く。

——

長崎で暮らして7回目の秋。僕は30歳になろうとしていた。
そして、長崎で生まれ育った女性と結婚した。
長崎はさかのまちで、土地が少ない。まちなかの便利な場所に一軒家を持つのはそれなりのお金がかかる上に、土地が売りに出ることもまれだった。数年考え、古いマンションをリノベーションして引っ越した。
rudderも一緒に連れてきた。生地は擦れていた。それは僕の読書の跡だった。
センダンは、手の油でつやが増していた。

——

長い時間が流れた。

僕はrudderを、進学で家を出る18歳の一人息子に譲ることに決め、購入したギャラリーに息子と向かった。生地の張り替えを頼んだ。

rudderは、僕の長崎での時間を確かに刻んで、きちんと歳をとっていた。

生地見本をめくる息子の横顔は、妻のほうに似ている。
どんな生地を選ぶのだろうか、というちょっとした好奇心とともに見守ったが、すぐに、元の生地と同じにしてください、といっていた。
「自分が好きなものを選んでいいんだぞ」と喉元まで出かかったが、それも勝手な願望を押し付けることに変わりはない。だから黙っていた。


リペア後の届け先の伝票に、息子の東京の住所を書く。
書き慣れない郵便番号だ。間違っているように感じる。
自分が長崎に越してきた時も、8から始まる郵便番号に違和感を持ったことを突然思い出した。
父はよく米を送ってくれていたが、長崎の8から始まる郵便番号を書く時は、同じ思いだったのだろうか。

この椅子は、飛行機に乗るのだろうか。あるいは船だろうか。
遠くまで旅していく椅子のことを考えていたら、聞かれてもいないのに僕は言っていた。
「この椅子、息子と一緒に東京に行ってしまうんですよ」
お店の人は少し笑って、言った。
「大丈夫ですよ。ここの家具は、長い船旅でも耐えられるように作られていますから」
その「大丈夫」という言葉だけが、息子の背中にくっついていくような気がした。

東京に引っ越す日の朝。
9時台発の羽田行きに乗るために、息子は久しぶりに早起きをして、今にも出かけられる格好だった。
大きなキャリーケースが玄関にスタンバイしている。朝食を食べ終わったら、すぐに行ってしまうのだろう。
リビングのテレビには、いつもの朝のニュースが映し出されている。でも、今朝は、ニュースは見ていなかった。時刻表示が変わるのを、カウントダウンのように見守っていた。

「じゃ、行ってくるね。」

まるで部活に行って、数時間後には戻ってくるような口調だった。

「うん。なんかあったら電話して。」

いつも通りだった。
空港バスのターミナルへは妻が送っていく。仕事で見送れないのはわかっていたが、休みを取ればよかったと数日前から後悔していた。

玄関にキャリーを下ろす音が響く。息子の片足が外に出たくらいで、こらえきれずに言った。

「勉強しろよ。遊びもしろよ。」

怒鳴るような大声が出てしまった。朝から声を張ろうとするといつもそうだ。

瞬間的な静寂の後に、同じくらい大きな声で

「どっちだよ!」と息子が言った。
そして玄関のドアを大きく開けた。

海風がすべりこんできた。朝日が上りきった外はまぶしかった。もうこのうちに暮らすことはないだろう。年に1回戻ってくれば上等だろう。

息子は自分で舵を取る。

ーーーいつだって大丈夫

息子のプレイリストの1番最初の曲が、頭の中で鳴りはじめた。

(終)