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ストローク

30を過ぎたあたりから、部屋が気になるようになった。

それまでは、家は寝るところだった。
デザイナーとして働いていると、帰宅はだいたい遅い。
服や本や遊びにはお金を使うけれど、家具はとりあえずでよかった。

いちばんの親友が結婚した。
もうひとりの親友は転勤で関西支社へ行った。
たまに出かけていた職場の同僚は、直属の部下ができて忙しくなった。

最近、休日を家で過ごすことが増えた。

長くいると、部屋にも工夫をしたくなるものだ。
壁にポスターを飾り、照明を換え、植物も置いた。

仕事の資料として購入していた『Casa BRUTUS』や『ELLE DECOR』も、部屋づくりのお手本として、以前よりゆっくりページをめくるようになった。
特に、部屋の紹介はなかば嫉妬まじりに読み込んだ。

ファッションエディターの部屋は、なぜこんなにも素敵なんだろう。
N.Y.の銀行員に、ドイツの教員。どの部屋も、すべてが格好よく見えた。

彼らの部屋には、いわゆる名作と呼ばれる家具も置いてある。
でも、主役はブランド名もわからない、センスがよく、上質そうな家具たちだった。

「これ、どこのだろう」

そんな1脚を見つけると、ページをめくる手が止まった。

少し前、北欧の有名な椅子を1脚買った。
ずっと欲しかったものだし、今も気に入っている。永遠の定番と呼ばれている椅子だ。

届いた日に嬉しくなって部屋の写真を撮ったとき、ほんの少しだけ引っかかった。

どこかで見たことがある部屋に見えた。

雑誌でいいと思った椅子を買い、ネットで検索した照明を置いて、雑誌で見たように本を積む。

このままいくと、僕の部屋は誰かの部屋のコピーになるんじゃないか。

だから2脚目は、自分で探そうと思ったのだ。

ヨーロッパの有名ブランドは一度忘れて、日本の家具を調べた。
メイド・イン・ジャパンがいい、という確固たる信念があったわけではない。
ただ、日本でつくられているものの中から、自分でいいものを見つけられたら、格好いい気がした。

いくつものメーカーのサイトを開いた。

飛騨、旭川、徳島。

気になった椅子は、ブラウザのタブに残していく。

ある夜、1脚の椅子で手が止まった。

STROKE CHAIR。

細いフレーム。ぽってりと厚い座面。
吉村順三の建築を思い起こさせる佇まいだった。きっと、そんな空間に似合う。
シンプルなのに冷たくない。控えめな、でも確かな存在感がある。背が低いのもいい。

長崎県にある、川端装飾という会社がつくる椅子だった。

船舶家具が起源の工房らしい。

船舶家具、という言葉に初めて出会った。
小さく声に出して読み、コピーして検索する。


船舶家具とは――
客船やタンカーなどの船内、居住区や操舵室などで使用される専用家具。

つまり、船の中で使う家具だ。

Google検索のAIが示す概要をたどっていくと、ほとんど川端装飾のホームページに行き着いた。

波で揺れ、簡単には修理に戻せない海の上で使われる家具。
だからこそ、デザインと同じくらいタフな構造にこだわっているという。

華奢に見えるフレームは、ほぞで組まれている。
背中が触れるところには、職人がかんなで削った、緩やかでなめらかな曲線があった。



これまで見た中で、いちばん気に入ったが、その日はまだ買わなかった。

もっといい椅子があるんじゃないか?
それからも、椅子を探し続けた。

途中、大きめのプレゼンが1つあり、忙しかったこともあって、気づけば1か月が過ぎていた。9月になっていた。

新しい椅子と一緒に新年を迎えたいと思っていたから、少し焦る。

この週末に必ず決めよう。

そう決心してブックマークを開いた。
小一時間ほど、いくつかのサイトを眺める。

やはり、STROKE CHAIRが気になった。

最後に、

賞を取っているか。
誰が使っているか。
有名なデザイナーが使っているか。

そんな答えを探そうとして、結局やめた。

自分がいいと思った、それでいいのだ。

木と張地を選び、購入ボタンを押す。

誰かに教えてもらったものではない。
自分で探して、自分で比べて、自分で決めた。
そのことが、嬉しかった。

ふと、独立して会社を辞めた先輩デザイナーのことを思い出した。
アドバイスをもらいにいくと、決まって言われた。

「なぜ?」ー。

「なぜ文字はこの場所なの?」「なぜこの線なの?」「なぜこの写真なの?」。
ここはいいけど、ここはダメだね。そんな具体的な修正を指示されたことはほとんどない。ただ、「なぜ?」と繰り返し問われた。

「なぜ?」と聞かれた後で考えることは、息を止め、深いプールに潜るようにしんどかった。もっと具体的に教えればいいのに。ここをこうして、って言われた方が早いのに。そのほうがお互いに楽なのに。そう思っていた。

なぜ?ー
たった2文字の言葉は、強烈なサーチライトとなって、デザインの荒さや思考の浅さを浮き彫りにしていく。実力の無さに向き合うのは苦しかった。
なぜ?に始まるやり取りを繰り返しながら、僕は、僕自身の美学やセンスを積み上げていったと思う。

届いた椅子は、写真で見ていたより小さく感じた。
家具がひとつ増えたのに、部屋は狭くならなかった。

座ってみる。

座面にはしっかり厚みがある。
背中を預けると、あの控えめな曲線がちょうど当たった。

その夜、いつものように雑誌を開いた。

格好いい部屋がいくつも載っている。
以前なら、知らないブランドをメモしたり、検索したりしながら読んでいた。

でも今日は、そのままページをめくった。

一生ものというのは、長く使える頑丈さだけのことではないと、今ならわかる。

10年後に「自分でこれを選んだんだ」と言えるもの。
なぜ好きなのか、自分の言葉で説明できるもの。


この椅子の名前は、STROKEという。デザイナーが一筆描きできるような美しさを目指したことから名付けられたらしい。「これだ」としか言いようがない線に辿り着くまでの過程を想像した。

雑誌を閉じ、スマートフォンを手に取る。

もうひとつ、気になる家具があるのだ。

STROKE TABLE。

しばらく眺めてから、思う。

次は、これかもしれない。

なぜなら――