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家具職人

家具を作っています、と言うと、たいてい少し驚かれる。
家具職人に会う機会は、そう多くないのだろう。
「へえ、どんなものを?」と聞かれて、「椅子やソファが多いですね」と答える。

ここまでは、いつも同じ。

そのあとに、半分くらいの人がきっかけを尋ねる。
「どうして、この仕事を?」

私は少し迷ってから、こう答える。
ひとつの椅子に座ったからです、と。

学生のころ、付き合っていた人と北欧家具の展示会に行った。
その頃、北欧家具というジャンルが広く知られるようになり、北欧風という言葉をテレビでも雑誌でもよく目にしていた。展示会は賑わっていた。

ふと人が途切れ、そこだけ光が差し込んだように、一脚の椅子が目に飛び込んできた。
ハンス・J・ウェグナーの椅子だった。
当時の家賃2か月分の価格が表示されていた。

量販店に、似たようなデザインの椅子があることにすぐに気づいた。
ああ、この椅子を真似ているのだと、素人の私にもわかった。

この椅子と、この椅子に似せた椅子。
何が違うのか知りたくて、座ってみた。


想像と違っていた。
背中や太ももの裏側から違いが伝わってくるのかと思っていたら、何よりも、手が反応した。

肘掛けになんとなく置いた指が、手のひらが、そのまますべっていく。どこにも引っかからない。そして、ここしかないという場所におさまった。

木が、人の手を知っているようだった。

これを作ったのはどんな人なのか。
どう削ればこうなるのか。
どれくらい木を触っていれば、この形が生み出せるのか。
どんな道具を使っているのか。


真似することなんてできないと思った。

その後、なんとなくインテリアに興味を持ち、家具やファブリックを扱うセレクトショップにバイヤーとして就職した。商品について学ぶほどに、作る側に興味を持つようになった。

5年働いたあと、気になっていた家具の工房に転職した。
船に納める家具を作ってきた歴史のある会社で、工房には木工、塗装、張り、それぞれの職人がいる。

仕事は、木を整えるところから始まる。
同じ種類の木でも、一本ごとに木目や癖が違う。仕上がったときにどこが見えるか、どこに力がかかるかを考えながら、使う場所を決めていく。

削りすぎた木は戻せない。慎重になりすぎれば、いつまでも形が決まらない。頭ではわかっていても、手が思うように動かないこともあった。

あの展示会に行ったころは、家具の完成した姿しか知らなかったし、違いもわかっていなかった。ひとつの椅子を作るまでに、これほど多くの判断があるとは思っていなかった。ウェグナーの椅子を思い出す。何気なくつながっているところが、何気なくは作れないとわかる。



自分で椅子をデザインすることになったとき、肘掛けには、やはり思い入れがあった。座る前に手をかける人もいれば、腰を下ろしてから肘を預ける人もいる。本を読むとき、話をするとき、立ち上がるとき。同じ場所に、いろいろな触れ方をする。どこから触れても、手に馴染む形にしたかった。


紙に描いた曲線を木にしてみると、思っていたのと違うところが出てくる。
目で見るとよさそうなのに、手で撫でると気になる。

肘掛けを削るときには、南京かんなという小さなかんなを使う。曲面や丸みを削るためのかんなだ。
削る。触って確かめる。それを繰り返した。
削りくずはほんのわずかなのに、触った感じはずいぶん変わる。どこまで削るか、最後は自分の手で決めるしかない。
この仕事をしはじめて、人にしか理解できない感触こそ「手仕事」そのものなのだと思うようになった。その道の専門家でなくても、人は、手仕事の凄みを知る感覚を持っている。
あの日の私は何も知らなかったが、違いがわかった。名作と呼ばれる家具はそうして生まれ、長く残り続けている。
作り手と、その手仕事を受け取る使い手の、静かなやり取りの元に。



デザインから任された最初のソファは、ef(イフ)と名付けた。
会社のルーツである船舶家具の古い写真からデザインを起こし、肘掛けは、あの日の自分の手の感覚を思い出しながら仕上げ、足掛け2年をかけた。
これからもあの肘掛けの感触が、工房で粘る原動力となるのだ。



家具を作っています、と言うと、たいてい少し驚かれる。
きっかけを聞かれれば、ウェグナーの椅子のことを話す。

作ったものを見たいと言われて、携帯の写真を見せることもある。
肘掛けがよく見える一枚を選ぶのだけれど、見せながら、これでは伝わらないなと思う。

私自身が、座ってみるまでは、量販店の椅子と何が違うのかわからなかったからだ。

「今度、座りに来てください」

ギャラリーの場所を説明するところから、また話が長くなる。
海が見える、いい場所なのだ。